旧広津村の風景
旧広津村の道祖神

今回は旧・広津村の道祖神紹介です。旧広津村は、今の池田町の東の山中、広津地区です。
kokotonのよく行く八坂村とは、隣り合わせの地域です。この地区の特徴は山中の小集落が今だに 存在していることです。道はごく狭いですが、舗装路が多いのも嬉しいです。しかし、ほとんどの道祖神はその集落の山の中にあることが多く簡単には見つけることができません。その特徴的な道祖神をぜひご覧下さい。第一回目の紹介で10体の道祖神を紹介します。


南足沼
堀越
栂の尾
菅の田
桃の木
「栂の尾」 年代不明。数少ない県道沿いの道祖神。丁寧に扱われているらしく、この地方の物としては形もきれいに残っている。
「菅の田」 明治2年(1869) 広津地区最高の一つ。大きさも結構あるが、男神の持つ盃の大きさがすごい。双体像が石の右側
       にオフセットされて彫ってあるのも珍しい。追加写真を見る
「堀越」  享保20年(1735) 痛みが進んでいる。双像の表面は完全に落ちてしまっている。以前は麦わらの屋根だったが、今は
      トタンの屋根に変えられている。当時の写真を見ると双像の表情をはっきりと見ることができる。追加写真を見る
「桃の木」 文久2年(1862) この道祖神もほぼ県道の傍にある。もちろん県道と言っても車がすれ違うのがやっとという道だが。
       ここもかつては藁葺きの屋根だったが今はトタンの屋根になっている。ちょっとさびしいが、道祖神を守るためである。
「南足沼」 文字碑である。この道祖神は南足沼の個人の麦畑のすぐ横にあり、ちょっと見つけるのは難しいかもしれない。

丸彫り道祖神

北足沼

「北足沼」の道祖神。年代不明。右の像の顔はひび割れがひどく、いまにも
崩れそうである。このすぐ右側にも崩れてしまった丸彫り像がある。この道祖神の
屋根は実に立派なもので、今までに見たことがない。また、道祖神の前には穴明石
がワイヤーで吊ってある。穴明石をあげると耳の病気が治るといわれており、上の
菅の田の道祖神の前にも置かれていた。追加写真を見る

平畑

「平畑」の道祖神。年代不明。北足沼の
物と比べると保存状態はいい。丸彫りの
道祖神は、北安曇ではここでしか見ることが
できない。安曇野周りでは明科の池桜と
柏尾にある。

山の中の道祖神

日野の集落
日野の道祖神
日野の道祖神と丸石道祖神

「日野」の道祖神。年代不明。古そうな道祖神である。ここ
日野は八坂村との境の集落。山中の一部に開かれた場所
に何戸かの家が集落を作っている。道祖神は右の山の中
の尾根道を上がったところに有る。双体像の前には丸石が
おいてある。以前はわらの屋根だったが、ここもトタンの
屋根に葺き替えられている。

単独像の道祖神

峯の在家の道祖神
峯の在家の道祖神
峯の在家の道祖神

「峯の在家」の道祖神。年代
不明。異例注の異例の道祖神
である。砂岩に線彫りで目・鼻・
口を掘り込んである。今は住む
人も居なくなった集落にある。
伊豆地方には、坐像の単独像
の道祖神があるが、安曇野辺
りでは見当たらない。

道六神

前田の風景
前田の道祖神
前田の道六神
道祖神の辺り

「前田」の道祖神。年代不明。どうろくじんである。この地方では、道祖神
の事をそう呼ぶ事が有る。その通りに彫られたものは珍しい。ここ前田の
道祖神は隣の南足沼との境の尾根線沿いの藪の中に奉られている。
地元の方に話を伺い、案内していただいたがなかなか判らなかった。
右の写真の様な場所では普通は入らない。
道祖神と彫られた右下の小さな石が道六神である。

kokotonは、北安曇の山中の道祖神に対する思い入れが強い。しかし、このあたりの道祖神の資料は
とても少ない。今回道祖神探索では、大変貴重な資料を提供していただいた穂高の小林さん、その仲介
をしていただいた吉川さん、そしてこの地区の状況に詳しい今回のお供をしていただいた池田町の
河内さんの協力に助けられて行えました。皆さんの協力に心より感謝しております。

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