究極の散歩「北安曇八坂村の廃村"鹿籠"探索 第四弾!」

探索の3人組み

八坂村の廃村"鹿籠"(かろう)の双体道祖神を探して6回目の探索です。初めの2回はその廃村に辿りつく事さえ出来ませんでした。廃村を見つけてからこれが4回目の探索というわけです。前回は、八坂村村誌にもない石仏を発見してそれなりの成果を残せましたが、さて今回の結果は。
今回は、KWFとヨシムさんの3人です。



◆◆鹿籠までの道◆◆

槍平(うつぎだいら)までは矢田川林道を行き、そこからが山道だ。

鹿籠への道から (写真左)山中の道の処々から遥か向こうの集落がかいま見える。これはお隣、美麻村の小集落。

(写真右)一昨年、八坂村のエンデューロの為に整備されてしまった道は歩きやすくはなった。でも落ち葉の絨毯が敷き詰められた場所はこの通りのフカフカ状態に戻った。
鹿籠への道

今回は、昨年まで気が付かなかったこの道から鹿籠に入って調べる事にした。

鹿籠に入るその道はこうなる。上の道は林道の枝道だが、これはそこから集落に入る道。結果から行けば、この道沿いには探している双体道祖神は無かった。ただ、この道がかつては鹿籠に入るメインの道だったと思われる。我々は、疲れない様に下りのルートで辿っているが、メインルートの西の窪から来ればこの道が一番自然だ。 今回の探索路 今回の探索路2

◆◆その道すがら◆◆

育ったタラの芽

いつも、鹿籠を訪れると自然の花等に驚かされる。今回は、摘み残された
タラノメが大きく育っていた。直前まで降っていた雨露に向こうの山が
逆さまに映されている。



◆◆そして鹿籠へ◆◆

鹿籠 鹿籠2 (写真左)鹿籠周辺の伐採は一段と進んでいた。昨年の写真と較べてみると良くわかる。村の入り口にある御神木の処まで伐採され、集落はほぼ跡形無くなった。唯一残るのは、土蔵だけだ。(写真右)
われわれは左の写真の左斜めの山奥から道を辿ってここへ降りてきた。下の御神木と石仏はちょうど山林の際の処だ。

鹿籠の御神木と桜の枯れ木

御神木 大きな松と杉が絡む様に生えている御神木が、鹿籠の入口だ。(写真左)
その下に、庚申塔や馬頭観音がある。伐採もここで止っているのだ。実際に行ってみると、その木の圧倒する気配がわかる。

その下、集落との間に大きな桜の枯れ木がある(写真右)。この木に纏わるいわれは以前書いた通りで、今回の伐採でも枯れたままの姿で残されているのだ。周囲から見えない鹿籠の集落も、この桜が満開のときはハッキリとわかったと言われている。
枯れた桜の木



◆◆道祖神の探索◆◆

かつて、ここの双体道祖神を見に行かれた仁科さんのお話では道を辿って村の入り口左に有ったとの事。ならば、この御神木周辺にしか無い。昨年は、村誌にも無い馬頭観音を見つけている事実もある。今回の道が、そのお話からも合致している事からその周辺を探索する事にした。 探索
馬頭観音 昨年の馬頭様はしっかりと立っていた

昨年、ヨシムさんが庚申塔(後ろに倒れている)の近くで土の中から見つけ出した馬頭観音。
立てて置いたところ、今年も我々を待っていてくれたかの様にちゃんと立っていてくれた。下に台座も無い石仏は倒れて落ち葉の中に埋もれ行く事が殆どだ。

お顔の上の馬頭が黒く色付けられているのがわかるだろうか。素晴らしい馬頭観音であることがわかる。


◆◆そして道祖神は??◆◆

残念ながら、今年も鹿籠の双体道祖神は見つからなかった。
しかし、今年も収穫は有ったのだった。村誌にあって、見つからなかった玉石(道祖神)が見つかった。そして、その横には自然石の陰陽石が埋まっていた。
そして、驚くはその手前に台座が残っているのだ。これは、本来双体道祖神が載っていたものと思われる。文字碑、双体像に関わらず道祖神の周りには丸石や陰陽石の様な石が奉られる。この台座の下は急斜面が有り、その下の道からは断崖だ。しかも、この周辺は落ち葉が積もり土となっていく状況だ。
新たな発見
新たな発見2 まだまだ見つかる石仏。

この写真は倒れた大きな庚申塔の横から見つかった不明石仏だ。その横には上記の馬頭観音が昨年見つかっている。前述の如く、人が居なくなった集落の石仏は年々倒れて落ち葉に埋もれて、土の中に帰っていく。まだまだ・・・・。



またもや見つからなかった鹿籠の双体道祖神。その写真は1枚しか見たことが無い。また、八坂村村誌編纂時も行方不明とある。八坂村の廃集落の道祖神は移設されたりしているものが大変多いが、いずれもしっかりとした記録が残されている。また、この山奥から道祖神を持ち行く者がいるとも思えない。
今回の探索で、いずれにしろ御神木の近辺であろう事はわかった。次回の探索はこの周辺となる。


一回目の探索から三回目までは

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