朝日村の道祖神巡りでは、”FROM信州あづみ野”の吉川氏の入念な準備に助けられました。
吉川氏はKWFの道祖神探索の良き理解者です。kokotonMAMA,kokoton知子そして吉川氏です。
安曇野の南の村・梓川村から松本平の山形村に続く朝日村の道祖神紹介です。この地域の
道祖神は形態的に似た道祖神です。鎖川沿いの扇状地の道祖神をご覧ください。
ここ朝日村には現在31体の道祖神が有りますが、その中からの紹介です。
1.芦之久保(3) 天保14年(1843) |
2,上古見(4,5) 弘化3年(1846) 正徳5年(1715) |
3.大石原(8) 明治26年(1893) |
4.北村上村(10) 弘化2年(1845) |
5.北村横道(11) 寛政7年(1795) |
6.針尾大日堂(15) 不明 |
7.熱田神社前(17) 天保14年(1843) |
8.熱田神社前(18) 不明 |
9.上組氏神(22) 文政8年(1825) |
10.中組(27) 不明 |
朝日村には立派な道祖神案内があります。村役場に行って購入できます(300円)。 上記( )内の番号はその案内に出ている番号です。 1.芦之久保の道祖神は道祖神盗みの風習で有名な道祖神です。文献等ではこの 道祖神は3代目と言うことですが、もしかしたら4代目かもしれません。かつて盗まれ た物は、山形村・小坂と塩尻市・洗馬にあります。 2.上古見は松本平では珍しい彩色道祖神です。安曇野とくに穂高では数多く有名な 彩色道祖神ですが、この過激な彩色はちょっと無いですね。ちなみに朝日村の彩色 道祖神はこの一体です。 6.針尾大日堂前の道祖神は昭和18年の火災での破損がひどく、半分から下が無く なっています。また、回りにある石仏と同様に石のひび割れがひどく崩れそうです。 これは想像ですが、火災で焼けた石に消火の水がかかりその為ひび割れが進んだ のではないでしょうか。 8.熱田神社前のこの道祖神は「彫りかけ道祖神」と呼ばれて有名です。高さ1m くらいの道祖神で、石工があまりに堅いのであきらめたという説があるそうです。 それにしても途中でやめた道祖神と言うのは大変珍しいですね。 9.上組氏神の道祖神は上部がグッと迫り出していて変わった形をしています。この タイプの物は、おとなりの山形村に見ることが出来ます。雨による風化を避ける訳とも 言われていますが確かに彫りが綺麗に残っています。 10.中組の道祖神は、中区(掘ってある回り)の形が桃の形をしています(猪の目と 呼ぶ地方もあります)。ここ朝日村には何体か有ります。これは、神話による話、 イザナギが死んだ妻イザナミの姿を見に黄泉の国に入り見つかって追われる時に その境の黄泉比良坂(よもつひらさか)で桃の実を投げた話から取ったと思われます。 そこから見ても桃の形はあるのでしょう。現に北安曇の山中ではその集落のお墓との 境に道祖神が立っています。 村を災難から守る賽の神の信仰が道祖神信仰に重なってきたという事が見てとれ ると思います。 |
道録神 「どうろくじん」です。この呼び名は、「道録神」の他にも 「道六神」や「道陸神」とも書かれています。 「どうそじん」が以前は「どうろくしん」と呼ばれていたこと がわかります。朝日村にはこの一体のみがありますが、 安曇野の北部・池田町にも見ることが出来ます。 |
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