小立野入の廃村・道祖神達 |
北安曇に接する東筑摩郡の生坂村。そこに小立野入と言う地区が有る。 30年ほど前までは40戸ほどが小集落を作りこの地区に点在していた。 今はただ1戸だけが残されているだけだ。第1弾として高松・根耕地・荻ノ原 泥沢の廃村道祖神を紹介したい。 |
◆素晴らしき根耕地・高松
根耕地から高松へ そこへ行くには、いきなり等高線を垂直に登る道で尾根まで出なければならない。その道は狭く 人がすれ違うのがやっとだ。そうすると根耕地(ねっこうち)の廃村に出る。・・・写真左 そこから尾根道を高松に向かって登っていくと、その途中に根耕地の道祖神がある。・・・写真右 大正6年のこの文字碑は大きな自然石に彫られており、美しくそして大変珍しい。 | |
根耕地に向かう途中で元根耕地の住人のYさんとお会いした。Yさんは、わざわざ道祖神まで 道を戻って案内してくださった。高松の道祖神の情報等、大切な情報をいただいたのが、この 後の高松の道祖神探索の足がかりになった。この先は知らなければただの尾根なのだ。 |
そして高松 知らなければどう道を辿ったら良いのか判断が難しい草木生い茂る尾根を辿りながら、 その行く先を諦めかけた時に見つけたのが下の写真の高松の廃村だ。 | |
根耕地から尾根線を辿りついたこの高松の集落跡の雰囲気が写真から伝わらないのが、 実際残念至極である。木洩れ日の中に点在する廃屋・・・・、この静粛たる雰囲気は廃村を 見てきているkokotonにとっても実に感激的であった。 そして、その集落を見下ろす様に道祖神が2体ある。・・・写真下 | |
大正11年の文字碑と明和元年の双体像の2体だ。砂岩で出来た双体像は写真右の様に 表情が不明である。そして今にも右の男神が崩れ落ちそうだ。文字碑にはこの高松の石工 二人、赤羽今朝芳・赤羽安雄の名が入っている。この二人が近隣の石仏を多く彫っていた事 を前出のYさんに教えていただいた。 |
◆見事な泥沢の道祖神
泥沢への道は車道だ。その集落へも苦も無く上がれる。しかし、道祖神は簡単には見つからない。
廃屋がまだしっかりと残る泥沢の集落。 小立野入の廃村は、割と建屋がしっかりと残っている物が多い。ここ泥沢の廃村も上2枚の写真の様に きれいに残っている。その集落の道祖神は裏山の中にある。(写真下) kokotonが2回目のチャレンジに訪れたこの日、泥沢出身で生坂村や明科町の石仏史を編纂された宮川先生 にお会いする事が出来た。先生のアドバイスが無ければ裏山の鬱蒼とした中の道祖神(写真下左)は見つける 事は出来なかったであろう。道祖神はご覧の通り見事なものであった。(写真下右) | |
こんな藪の中に道祖神は 有る。中心の石の様な物。 実は、ここで生まれ育った 方さえも判らなかったのだ。 |
◆荻ノ原の道祖神
2戸ほどの家屋が残る荻の原。その先には文道賀へ続く。
ここ荻ノ原の廃村道祖神は左の様に埋もれてしまって いた。 これでは車でも入れない事は無い程度の道の土手上に有って もわからない。 | |
文字碑の道祖神は、右の写真の様に下半分が 摩滅していた。しかし、しっかりと守られる様に 屋根は残されている。そして、なにより道祖神 と言う文字が変わっている。 |
生坂村の中で山中の廃村が多いのはこの小立野入とお隣、下生野の一部だ。
今回は小立野入の一部を紹介したが、今後は小立野入と隣接する明科町の
山中の道祖神と共に案内して行きたい。