穂高町の彩色道祖神


安曇野の道祖神と言えば良く出てくるのがここ穂高町の道祖神です。
ここの道祖神の特徴はなんと言ってもその多くが彩色を施されている事でしょう。
その彩色道祖神を紹介します。


神田町(11)
慶応2年(1866年)
古厩(117)
慶応3年(1867年)
等々力(21)
天保12年(1841)
本郷(38)
安政5年(1858年
本郷(40)
天保4年(1833
本郷(41)
安政5年(1858年)
田中(43)
文政7年(1824年)
久保田(59)
天保12年(1841)
耳塚(98)
元治2年(1865年

地名の隣の( )内の数字は穂高町発行の"道祖神めぐり"と言う資料のNoです。
その他の資料でも穂高町の道祖神はこの番号で紹介されていることが多いので
参考にして下さい。

神田町 大黒天像と共に屋形の中に奉られています。中区を石の大きさぎりぎりまでとり、その中にいっぱいの双体像が彫られている。男神・女神ともに揃えた足を爪先立つようにしています。
古厩 珍しい彩色で美しい道祖神。有名であり文献に写真が紹介されたり、展示に貸し出されたりもしているらしい。
等々力 唐破風の屋根に、その下には菊と松の木が彫られている珍しい像。彩色はいつも薄く施されている様です。半眼に閉じた端整な表情が印象的です。
本郷
38
中区の上に鳥居をあしらった像で、珍しいのは握手ではなく互いの袖の中に手を入れている事です。穂高の彩色道祖神ではこれだけですね。また、この道祖神は「上原中」と彫られていて明治時代に上原から酒一升で持ってきたと伝えられている。
本郷
40
いつ行ってもきれいに彩色されている道祖神です。鳥居の下に佇んでいる様子がきれいですね。これも「貝梅中」と彫られていて、北の貝梅村から持ってきたものです。互いの村の話し合いの中で準備され、雪の日にソリで運んだと言われています。
本郷
41
同じように彩色された恵比寿天、大黒天と並ぶ道祖神です。屋根のない祭壇の上に彩色された大きな石仏3体並んで見事です。
田中 本来ここよりも北にあったのを十ヶ堰改修の為に移されてきたものです。わりとラフに彩色された道祖神は、夏の季節に映える様です。四季の道祖神の夏で紹介しているのもこの道祖神ですね。
久保田 これも以前は南にあったものを持ってきたものです。菊と葉が彫られたのが印象的です。
耳塚 彩色が違うものの中区いっぱいに彫られた像は、その大きな酒器の様子も合わせて上記神田町のものとそっくりです。また、これは耳塚上木戸のものですが、下木戸には同じ石工の作と思われる彩色していない道祖神も有り3体見て周るのも楽しいですね。

穂高の彩色道祖神はこれだけでは有りません。また、彩色道祖神以外にも素晴らしい道祖神が多くあります。
自転車で回るには穂高町発行の「安曇野 穂高 道祖神巡り」を利用すると便利です。

三九郎 三九郎の準備。

1月14日の小正月には道祖神の祭りである三九郎が行われる。それは山から伐ってきた
木を骨組みにして、門松・しめ・だるま・習字の紙・古いお札等を集めたものだ。
これを正月14日の夕方に火を付けて祈り祭る。
これは前日、雨に濡れない様にシートで守られている。

/ 道祖神のページに戻る /