究極の散歩「北安曇八坂村の廃村道祖神探索」

kokotonが探している超山奥の廃村・鹿籠の道祖神。今回が6回目の探索です。
前回には村誌にある不明石仏を掘り起こしたものの道祖神発見には至らず終わりました。
さて、今回はどうなることでしょう。メンバーは、Staff of kokoton WONDER FAMILYとも
いえる山形村のヨシムさんと、池田町のヘムさんです。

尾根道 今年は5月中旬に探索を決行!

例年、草木の繁らない4月の初旬を狙って探索を行っていましたがヨシムさんと
kokotonPAPAは花粉症でグロッキー気味になってしまう為に今回は5月中旬に決定!
しかし、結果的には何の花粉だかわからないけど鼻グシュグシュのクシャミ連発は同じでした。
5月も中旬になるともう草木ボウボウで左の写真の様に山の景色もきれいですよ。でも、
それが災いして埋もれた道祖神を探すには外してしまった感じ。しかし、以前に較べると
廃道になっていた旧道が村のイベントで整備されて歩く時間が短縮されたので楽にはなりました。


山奥の廃村・鹿籠の周囲は伐採されていた!
鹿籠a 鹿籠b 鹿籠c
今年(2001年)訪れた鹿籠はなんと伐採の憂き目に遭っていたのでした!

左の写真が鹿籠の集落が有った場所です。歩いているのが尾根道です。奥のまだ
伐採されていない処を歩いてくると突如としてこの様な風景が展開していました。
かつてこの道を歩いていても鬱蒼とした中の集落がわからなかったのに・・・・・・。

中の写真が尾根道を挟んで集落と逆側の断崖です。かつては木がビッシリと生えて
いて、外から鹿籠の集落を隠していたのです。

右の写真はその断崖を覗き込むヨシムさん。目眩を起こしそうな急で深い絶壁です。
かつては見えなかった谷を挟んだ向かいの西の窪の飯綱神社が丸見えになって
います。この谷を伐採したのはいかなる理由なのでしょう。

そんな鹿籠にはこの季節群生する花が有る
クルマバソウ クルマバソウ(左)の群生が一面に。

まだ伐採の手が入っていない鹿籠の集落の奥には白い小さな花が一面に咲き乱れていました。ひとつの花が約5mm程のクルマバソウ。昼でも少し暗めの集落の奥に光が射している様です。

このエリアには4月には福寿草(右)が群落を作ります。人知れない奥山の廃村にはそれがゆえに自然が確実に呼吸している様です。
福寿草

そして道祖神探索

今年も、記録に有る双体道祖神は見つかりませんでした。
しかし、昨年見つけた不明石仏(八坂村の資料には有り)を含め下記の4体の石仏を発見しました。
しかも今年見つけた3体は八坂村の村誌にさえ記録の無い物でした。

不明石仏 不明石仏

村誌にも記録が残る不明石仏を発見したのは昨年(2000年)だった。
表面が完全に崩れ落ちて、土の中に埋もれかけていた。kokotonMAMAが
実はこの前年に見つけていたのをこの年掘り起こした。砂岩で出来た石仏
は本当に朽ちるのが早い。写真は昨年(2000年)のものです。
馬頭観音(文字碑)

ここ鹿籠の集落の石仏達は記録上は村の入り口とある。
現に上記の不明石仏も御神木と思しき松の大木の付近に
あった。しかしこの馬頭観音はその上の道の上に倒れ、
埋もれていたのだった。形から双体道祖神でないことは
わかったものの、何の石仏かは判らなかった。泥を丁寧に
取り除くと、舟形の中区に馬頭観世音と刻まれていた。
馬頭観音b
馬頭観音a 馬頭観音

ヨシムさんが掘り起こした観音像。上に見えるのは大きな庚申塔だ。この庚申塔周りは
何回も探索した場所。そこからこの観音像が出てきたのだった。全員が探した場所だけに
驚きだった。
明治39年の掘りがあるこの観音像は、その形と掘りこまれているパターン(頭に馬頭を
戴き憤怒の表情を持つ)から、八坂村にも多く残る馬頭観音像である。
自然石道祖神を発見

双体の道祖神は見つからなかったものの。それ以上の物を発見できた。
それは下の自然石道祖神だ。ゴツゴツとした多孔質の石は倒れた屋根
で奉られていたのだろう。
自然石を奉る風習は基本的に道祖神の確率が非常に高い。同じような
道祖神が山形村にも有るというヨシムさんの言葉もそれを裏付ける。
鹿籠の自然石道祖神
これも村誌には記録のない物だ。そして、位置的には鹿籠の集落を
見下ろす位置に有る。山中の集落の道祖神の置かれているパターン
の一つである。


例年、掘り起こした石仏は元に戻していたのですが今年は立ててお神酒をかけてきました。


◆次回の探索廃村は"荻"の集落にあるはずの道祖神

荻 荻の廃村は家屋が全て潰れてしまっていました。

この廃村へ入るのもかなり難しいです。昔の地図から入り口を探しても判りませんでした。
地元の方で春先にここへ山菜を取りに行くという方と偶然知り合い、教えてもらいました。
ここの道祖神は他の場所に移されたと言う記録や話しは聞いていないので、来年はここも
探索のターゲットとしたいと思っています。

◆来年は鹿籠の石仏たちはどうなっているのだろう

今年は辛うじて伐採のエリアから逃れていた鹿籠の石仏達。それは鹿籠の道が山の上側で西の窪は槍平と繋がり、その道筋や村の入り口に石仏が設置されてたからでしょう。今回の伐採エリアは谷から麓に向かって行われていましたさて。さて、来年の鹿籠はどうなってしまうのでしょうか。



◆鹿籠関連の過去ページ

特別企画2:廃村・鹿籠”さわら立て”の磨崖仏を発見!
特別企画1:究極の散歩、山中の廃村探索の案内



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